◇ 大日野カルコの 「じみ女子2」 〜Vol.93〜 ◇
〜「じみ女子2」 納得と自由。〜
今回はものすっごいまじめな話なんで興味のある方だけどんぞ(^ー^)ノ
最近わたしが改めて、納得するってすごいことやなぁと思った話です。
昔、勝ち組とか負け組という言葉がありましたよね。
わたしはあれ何に対しての勝ちと負けなんやろうってずっとフシギに思っていて、
それって自分が納得しているかしてないかの差なんやろなと思いました。
自分の取り巻く状況・環境、気も持ちよう、方向性などが
自分が納得していれば勝ち・納得していなければ負けです。
例えば自分の望みではない(納得していない)今の状況があるとして。
そこから納得するまでのその道のりは、まるで双六ゲームのようです。
図にするとこんな感じ↓
ちょっと分かりずらいケド(^^;)
わたしは納得の反対語って「不服」よりも「誤解」だと思うんです。
色んな不足からカンタンに生まれる誤解。
例えばケンカ一つにしても「●●だったから●●できなかった・しなかった、ごめん」など
すぐにありきたりな言葉でも補充すればカンタンに納得できるようなことを、
人はすぐ放置してしまいがちです。
そうなるとどんどん変態していって大きく歪んでいってしまう。
ちなみに言い訳はカッコ悪い(男性は特に)みたいな風潮ありますけど、
わたしは自分のした事の内訳は言ったほうがいいと思います。
誤解って理由言葉足らず、理由以外の言葉過剰が招いていると思うので。
放置した誤解が重なると望みではない状況が生まれてしまい、
その上で自分がどう振舞っていてもこれが一体誰なのか何なのか分からなくなってしまいます。
誤解を解く という言葉もあるように、それだけ誤解は固くからまっていくもので
どんどん不自由になっていきます。
田辺聖子さんの小説に、「納得するということは自由を思い当たるということ」という言葉があって、
これ本当そうやなぁと思います。
自由って不納得から外れることではなくて、
納得していない所と向かい合ったその線上の先にある、
フと気づいて腑に落ちる瞬間。一歩一歩 納得していける実感。
それが自由かもしれません。
だから納得するって自由と背中合わせで実はすごい高度なことやなぁ〜と今になってしみじみ思います。
つたない文で分かりにくいので、ようはこういうことです^_^
スケール小さっΣ(・□・;)
2014年7月29日
-PROFILE-
大日野カルコ(ohino karuko)
漫画家・イラストレーター。
兵庫県生まれ、在住。